ショッピングセンターの果物売場に、もう黄色のびわが置かれている。
びわを見る度に、母の事を思い出します。私は農家の次男坊で、すぐ上の兄とは12才も離れていたため、母にはよく可愛がられました。
我が家の離れには大きなびわの木が3本あり、よく実を付け、たわわに生っていました。
母はびわが好物でいつも楽しみにしていて、子供心に母に喜んでもらおうと、よくこのびわの木に登りびわを採ったものです。母は「あぶない、あぶない」と心 配しながらもうれしそうに大きなエプロンを拡げて待っている。私はそのエプロンを目がけて小さな枝ごと投げたものです。大きめのザルに4,5杯は数日間 採っていたように思います。母はそれを茎から切り取り、数個ずつ袋に分けご近所や親せき、近くに嫁いだ姉の所に配ったものです。自分は体裁の悪い
びわばかりを美味しそうに食べていたのを思い出します。
昨年、母の17回忌を迎えましたが、亡くなるまで、このびわの行事が行われていたと思います。
母は、私とのこの行事がほんとうに楽しかったのではないだろうかと、この頃ふと思う事があります。“おじいちゃん”と呼ばれる年になっても母のおいしそう な笑顔が忘れられません。子供にとって、母は偉大な存在であり、母にとっても子供は大切な存在(宝物)であったはずです。
昨今の若い母親の子供への虐待、育児放棄、暑い車への放置とニュースに取り上げられるたびに、あの“お母さん”はどこに行ったのだろう、「お母さん、ありがとうございました」と言える子供、又言われる母親になってもらいたいと思う、びわの実でした。
かあちゃん、ありがとう。