球児憧れの甲子園。決勝9回裏、2点差、2アウト、ランナー1・2塁。バッター大きく素振りしながらバッターボックスに入る。ピッチャー、疲れながらも「あと一人、あと一人」という応援席の声を背に大きく深呼吸。甲子園の「ウォー」というどよめきのなか、バッターとピッチャーだけが大きく見える。1・2球外角をせめる。バッターは必死にボールにくいすがり、フライで逃れ好球を待つ。
 ピッチャー渾身の直球勝負、バッター「待ってました」とばかり、必死の爆打。球はバットの芯をとらえ、外野へ大きな虹の半円を描く。しかし平凡な外野フライ、「しめた」とばかり外野手は両手を上げて栄光のボールを待ち受ける。ピッチャーも「しとめた」とばかりガッツポーズを取りながら、笑みを浮かべてマウンドを降りる。
 外野手は球をグラブに収めた。と、その時、白球は光ったかのようにグラウンドにポトリ。ランナーは最後とばかりにホームに回っている。
 あっという間の出来事である。逆転サヨナラ。まさか。
 兵庫県西宮神社の「開運神事福男選び」。スタートの場所取りの抽選“A・B・C・D・E・F”の中門前スタートのAのくじをとり、クジ運に恵まれた。常々、この為に日々走り込みの訓練を重ね、自信満々であった。
 AM6:00の開門と同時にスタートを切る。スタート良く、コーナーの松のある位置で自分の前には誰もいない。今年の福男は自分だと確信しながら、一目散に走り続ける。
 まだ自分の前には誰もいない。やがて神殿が見えてきた。“やったぁ”と思ったその瞬間、足が訳もなくもつれ“すってんころり”。自分の上を何人もの走者が通って行く。まさか。

 人生そう何度も“まさか”の訪れはないかもしれない。が、その“まさか”に備える心構えが必要である。
 それは自分が確信を得た時、その確信から出る「ほんの少しの心のゆとり」から歪みが生じることを忘れない事である。人生全ての事柄において手中に納まるまでまた、人生ゲーム“ジ・エンド”になるまでは。
 私の人生の“まさか”は妻と結婚したことかもしれませんね。