私は会社が休みでない限り、15年間早朝、温泉に行っています。
 真冬の凍える寒い日でも、温かい温泉に入れると思うと、早起きがまったく苦になりません。6時には湯舟の中で、7時半頃出て会社に行っています。もはや生活の一部となっています。同じ時間帯に来る人も多く、もう顔なじみです。いつも挨拶を交わす人もあれば、15年間一度も言葉を交わした事がない人もいます。皆、決まった番号に履物を入れ、決めた所に衣類を納める。また、お風呂の中では、いつも同じ場所で湯舟に浸かり、決まった場所で体を洗っている。時間帯もほぼ同じで、それがいつもの風景となっています。私もその一員です。
 私は人に話しかけるのが苦手で、自分からは一度も声を掛けたことがありません。気を遣う為、あまり知り合いを作りたくないのと、ゆっくり温泉に入って癒され“自己陶酔”を求めたい、温泉浴をしたいと言う理由と、知り合いが出来ても近視の為、風呂の中では顔がはっきりと見えなくて、色々と目で挨拶されて、微笑みかけられても、見えない為“知らんぷり”になるので、失礼を起こしてしまうと言う理由もあるわけです。
 このような風呂事情の中で、私が「ここ」と決めてある場所が、いつも重なる老人がいます。いつも竹籠を持って入って来ます。風呂道具置場にそれが置いてあれば、その場所が空いていても、老人の為にさりげなく遠慮している。離れた所から見ていると、やはりそこに腰かけて体を洗っている。私の中ではさりげない思いやり、親切心で見守っている。その場所は水風呂のすぐ側で、何かと便利な所で「私も本当はそこで洗いたい!」と内心思っている。その老人とは、15年間一度も言葉を交わした事がない。「老人は私の存在に気が付いているのだろうか?」と思う時がある。
 自分を振り返ってみた時、当たり前に当たり前の事として過ごしている日々は、どこかで誰かに気が付かないうちに、さりげない思いやりと親切を受けているのではないか。周りに人がいるから、自分が生かされているのだと、この頃思うガンコ親父であります。