知人のお父さんが脳硬塞で倒れ、意識のないまま病院の床に伏し生死をさまよっている。大正6年生まれの91才、先日まで元気で自動車も運転していたとの事、老いを知らない翁であったそうだ。子供達は皆、郷里を離れ老夫婦二人で静かに余生を送っていたという。

今から20年前、彼が70才の時書いた回顧録のような戦争体験記を子供達に渡したそうです。

 30ページに渡り達筆で綿々とつづられてあったそうです。改めて目にすると、前よりも増して父親の生きたみちにいたく感動したそうです。
知人よりその小冊子を拝読する事ができ、本当に心が洗われ、涙が止めどなくあふれでて字が読めなくなってしまいました。
出生から成人へ、結婚、戦争、徴兵検査、子供の誕生、召集令状、出兵と順を追って書かれていました。特に戦地、韓国、北朝鮮、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ビルマヘの強行軍。歩兵隊の最前線で砲弾や銃弾の隙間をかいくぐりながらの進行。ある時はジャングルでマラリアにかかり熱帯熱に悩まされ、ある時は敵弾に当たり負傷し入院を余儀なくされたり、戦友、上司の死を身近に見る事もしばしば。隊の連絡係だったため、その場を去ってもどってみれば、その場所にいた全ての隊員が死んでいた事。自分の背中にあった飯盒を貫通して、後ろの戦友が即死していた事。3回ほど命拾いしたという。

 終戦を迎え捕虜になり、色々な作業をやらされ、生きた心地はしなかったとの事。20才青春の殆どを国の為、第一線の戦場で戦い続け、苦しい時につけ思うは本土の家族、親戚、近在の方々の安否を気づかったとの事。

さぞかし異境の地で、死と背中合わせの生活は苦しかった事でしょう。生後間もない子供、妻、両親を残しての入隊で、本人も家族も実に気丈に生きたものと感心させられました。

 あとがきに、生きながらえた幸運に感謝し、再びあのような悲惨な戦争が起こらない様、人類全ての平和を祈念し、残された人生を、感謝の心を忘れず、微力ながら社会の為、子孫の為に尽くしたい、美しく生きたいと締めくくっていました。

 どうか意識を取り戻し、家族の為に今少し生きて下さい。神仏にお願いしております。